三方原台地で感動のこだわりミカンをつくる「ささ農園」

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三方原台地で感動のこだわりミカンをつくる「ささ農園」

「畑仕事があるので、お正月もウチには休みなんてありませんでした。友達やご近所さんが、3が日に家でゆっくり過ごしているのは羨ましかったですね」

そう語るのは、ささ農園の代表 佐々和弘さんです。三方原にあるハウスと露地の両方で、約500本の柑橘類を育てています。家族経営でやってきた農業は休みがなく、子どものころの佐々さんにとって好きになれない仕事だったそうです。

そんな中、佐々さんは、あるできごとをきっかけに「本気でミカンをやろう!」と考えるようになりました。佐々さんの心を動かしたできごととは?今では全国でも珍しい品種を出荷しているささ農園について話を聞きました。


嫌いな農業と向き合うキッカケは、「もう辞めたら?」の一言

浜松 ライター 菅原

佐々さんで2代目になるささ農園。佐々さんにとって農業は大変で“どこか恥ずかしい”仕事。家業を継ぎたいという想いは、昔からあった訳ではなかったそうです。

「例えば、毎年10月ころにミカンの収穫が始まると、手伝うように両親から言われました。そのたびに私は、どうやって手伝いから逃げるかを考えるような子どもでしたね。

結局は私も手伝わなければ仕事が追い付かないので、嫌々畑に出るといった感じです。畑の前を同じ年ごろの女の子が通りかかるだけで、ミカンの木の陰に隠れていました」

そんな佐々さんが自分で農業に取り組むようになったキッカケは何だったのでしょうか?

「税務署で言われた一言がキッカケでした。何かの用事で妻が税務署に行ったときに、担当者さんから『佐々さん、農業を辞めたらどうですか?』と言われたんです。

確かに、父が亡くなってから、しばらく畑の手入れはしていませんでした。畑をそのままにしているくらいならという意味だったのでしょう。ただ、妻からその言葉を聞いて、なぜかムキになっている自分がいたんです」

浜松 ライター 菅原
▲丁寧に管理されて、実のたくさんできたミカン畑

どうして、好きになれなかった農業を辞めたくないと思ったのでしょうか?

「ささ農園の畑は、私たち子どもを養おうと、両親が一生懸命に切り拓いてくれた土地なんです。固い赤土の三方原台地を、戦後に開拓してミカン畑にしてくれました。開拓の当時、ミカンの木が1本あれば子どもを大学に行かせられると聞いてのことだったようです。

そんな畑を放置していた当時、私の2人の娘は幼稚園児でした。幼い娘たちを見ていると、両親の残してくれたミカンで何とか大学まで出してやりたいという想いが湧きました。本気で農業をやってみようじゃないかと、やる気が出てきたんです」

税務署で言われた一言をきっかけに、ご両親が残した畑を大切にしたいという気持ちが湧いたのですね。

「そうですね、それが1984年のこと。勤めていた工場を辞めて家業を継ぎました。両親が植えたミカンの木はもう老木だったので、まずは改植が必要でした。それから、農協が主催しているの農業経営塾に通ったり、高利益の品種を栽培したり。改良と改善の日々でしたが、数年前には無事、娘たちも大学を卒業していきました。何とかここまでくることができましたね」


両親が苦労してきた畑を守りたい、佐々さんの心境の変化とは?

浜松 ライター 菅原

ミカンの栽培に取り組むうち、佐々さんはご両親の想いにも気付くようになったそうです。

「両親は、ミカンをやるしかなかったんだと思うようになりました。自分の畑を手放してまで、農業のほかに仕事をすることを考えられなかったんでしょう。苦労して畑を守ってきた両親の姿を覚えています。

田舎では、農家さんはお金に困ることが多くて、畑を売って現金化することが多くあります。ですが、両親は畑を売らずに農業を続けました。私も自分の代で畑の面積を減らすのは、何となく嫌だと思っていました」

畑の土地を売ることは、生計を立てるための選択肢の1つでもあります。現に、三方原のエリア一帯は工場や宅地の開発とともに地価が上がった時期もあります。

「それでも、畑を売ってお金にするのではなく、何かおもしろいことを考えていけたら良いと思うんです。不動産の知識を持っておくことは大切だと考えて、工場の退職金で宅建の資格を取りました。宅地取引の知識をもっていれば、畑を増やすこともできますから。そう考えてみると、やっぱり私は、両親の畑を大事にしたかったんでしょうね」

実際に農業をやると決めてから、佐々さんはご両親の農業に対する想いに気付いていったようです。

「市外からもお客さんが来てくれること、新しく栽培を始めた品種をおいしいと言ってもらえること。実際に取り組んでみると、農業がどんどん面白くなっていきました。自分で何かをつくることが面白かったし、苦労して出来上がったものがお金になることも素直に嬉しいと思いました。

そのうち、全国でも珍しい品種のミカン栽培に取り組むようになりました。例えば、極早生品種の『ゆら』を栽培しています。とくに糖度が12度以上になる『ゆら』は『天下統一』というブランド名で農協の奨励品種に認定されています。

ほかにも、『興津(おきつ)』に『せとか』、『麗紅(れいこう)』、レモンも栽培していますよ。すべて自分が試食して、おいしいと思った品種です。自分が良いと思うものを育てる。そうしたら、一部が農協の奨励品種になりました」

そう言って笑う佐々さんの頭上には、なんとパッションフルーツが。

三方原台地で感動のこだわりミカンをつくる「ささ農園」

「これは全部、“嫁さんが食べる用”です。妻はパッションフルーツが大好きで、1日3個くらい食べるんですよ。商品として売れば1個100円になるんですけれどね、家族サービスです(笑)」

ほかにも、マンゴーの栽培にもトライしているそうです。畑の見学を通じて、佐々さんのおいしいフルーツをつくるのが好きな様子が伝わってきました。


ミカンづくりを通じて業界や地域の発展を願う

浜松 ライター 菅原
▲初冬の雨に濡れて、ミカンも甘さを増していきます。

「ハートのミカンなんて素敵ですね!」「孫からおじいちゃんおばあちゃんに送るのもよいし、彼女から彼氏へのプレゼントにもいいですね」そんな会話がはずみます。

浜松 ライター 菅原

「地域の子どもたちとつながりを深めることも、これからしていきたいことの1つです。今年、近所の保育園から、園児のみなさんがイチゴの定植やサツマイモの収穫に来てくれています。小さなころから農業に触れていると、この地域で就農する人が増えてくれるかもしれません」

ゼロから畑を開拓してきたささ農園。佐々さんには、ミカンを通じて地域の発展を願う気持ちもあるようです。

「それから、何と言っても消費者のみなさんと近くなっていけたら嬉しいです。イベントや展示会には積極的に参加していって、たくさんの意見をもらえるようになりたいですね。

地域のケーキ屋さんやレストランさんにもよく話を聞いて、ミカンの新しい活用方法を探っていけたらと思っています。そうやって、この地域ごと、ミカンの産業が発展していってくれたら嬉しいです」


そんなささ農園のミカンは、農園に併設している直売所やネット通販でも購入できます。貴重な品種につき数に限りがあるため、ホームページやFacebookページで販売状況をご確認ください。

▼ささ農園オンラインショップ
https://www.sasafarm1984.com/order-ec/
▼ささ農園Facebookページ
https://www.facebook.com/sasafarm1984/


ささ農園
所在地:静岡県浜松市北区初生町1068-6
TEL:053-438-5460
FAX:053-438-5463
ホームページ:https://www.sasafarm1984.com/


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